松平忠直は「暴君・異常性愛者」として語り継がれることが多い人物です。

でもその姿は真実のものでしょうか?

この記事では松平忠直の異常者・暴君としてのエピソードを紹介するとともに、「それが真実かどうか」も考えてみたいと思います。

松平忠直のプロフィール

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松平忠直は、徳川家康の次男・結城秀康の長男として生まれました。

父の領地だった越前を相続し、大坂夏の陣で真田幸村を討ち取るなど武勲を挙げましたが、参勤交代を怠ったことや藩政の乱れを理由に豊後萩原へ流されます。

そしてそのまま没しました。

松平忠直の暴君・異常性愛者的エピソード

妊婦のお腹を割き、胎児を取り出す

「真雪草子」によれば、忠直は

「妊女(はらみおんな)を殺してご覧せられし、妊女を俎板(まないた)に載せて殺したる、東光寺の庭中の池の中に埋めたり」

とあります。

さらに後藤宙外撰の「通俗日本史」には、その女のお腹の中から胎児を取り出したり、遺体を弄んだという記述も。

かなり残虐な一面が語り継がれています。

美女に入れあげ2人で殺人ショーを愉しむ

また「御夜話集」には、忠直が「一国(いっこく)」という美女に入れあげ、美女の言うままに人殺しを愉しむ・・というエピソードも。

一国は京の木綿問屋の娘で、「その美貌は一国に値する」ということから忠直が「一国」と名付け、側室に迎えました。

ところが一国には、「人が殺されるところを見て愉しむ」という性癖があり、忠直は一国のために罪のない領民まで殺すようになります。

実際にあった出来事とは思えないような、異常なエピソードです。

松平忠直の本当の姿は?忠直は暴君に仕立て上げられたのか

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このように忠直の残虐性や異常者としての特徴を示すようなエピソードはたくさんの文献の中に残されています。

ところが上記のエピソードなどは、あまりに残虐すぎて、かえって本当のものだとは思いにくいですよね。

実はこのような忠直の姿は、近年「作為的に作られたものではないか」という見方が強まっています。

というのも、領地だった越前では街道の整備をしたり新田の開発に力を入れたなど、名君として尊敬されている面もあるからです。

こんなことから、極端なまでの悪評はまるごと信じられるものではなさそうです。