「坂本乙女」は、幕末に活躍した坂本龍馬の姉です。

彼女は身長175cm・体重113㎏の堂々たる体格をもち「坂本のお仁王さま」と呼ばれた男勝りな面とは裏腹に、弟のために尽くすという健気な女性の一面を持っていました。

この記事ではそんな「坂本乙女」について、分かりやすくまとめてみました!

坂本乙女の生涯

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坂本乙女は、1832年に土佐藩郷士・坂本八平と幸のもとに生まれました。

幼いころから好んだのは、家事や裁縫よりも武芸。

剣術だけでなく、馬術・弓術・水練なども得意だったと言われています。

母が亡くなり龍馬の母代わりに

乙女と龍馬の母が亡くなったのは、乙女が15才、龍馬が11才のころのことでした。

乙女は母代わりとなって、そのころ夜尿癖があり泣き虫のいじめられっこだった龍馬を、厳しく鍛えます。

夜尿癖を治すために夜中起して厠に行かせ、龍馬は夜尿を克服。

また自ら竹刀をとって龍馬を鍛えたり、字の稽古や古典を教えたりしました。

結婚するも夫の浮気に悩み離縁

龍馬を一生懸命に育てた乙女ですが、25,6才のころには一度結婚もしていました。

相手は藩公の侍医を務めていた医師の岡上樹庵(おかのうえのじゅあん)です。

ふたりは2人の子をもうけますが(一説には樹庵と使用人の間に出来た子)、家風の違いや樹庵の浮気症に耐えかねて離縁してしまいます。

それからの乙女の張り合いと言えば、活躍する龍馬から届く手紙を読むこと。

龍馬はマメに乙女へ手紙を送りましたが、乙女はその手紙をまるで恋人からもらったかのように、大切に大切にしていたと言います。

龍馬の妻・お龍とは不仲

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龍馬が道半ばで死を遂げたあと、乙女は一時、妻のお龍を土佐に引き取りました。

しかし2人の折り合いは悪く、お龍は坂本家を飛び出してしまいます。

かわいい弟の大切な妻だとしても、かわいいからこそ心から歓迎は出来ないものなのかもしれません。

晩年は坂本家の養子・直寛に養われ、1879年に壊血病のため48才で亡くなりました。

「お仁王さま」は誰よりも一途だった

このように、人生の大半を龍馬のために尽くし、龍馬を思ってきた坂本乙女。

彼女は冒頭にも書いたようにまさに男並みの体格・才能ではありましたが、非常に情が深く、心の中は名前のように「乙女」だったようですね。

龍馬は彼女にとって弟でありながら、息子のようでもあり、たったひとりの恋人のように感じます。

乙女にとって大切な龍馬の活躍は誇りだったかもしれませんが・・

もし彼女が龍馬の姉でなかったら、自分の才能を活かして活躍していたかもしれませんす。

それとも、時代が時代だけに、どんなに才能があってもやはり家に入って過ごしていったのでしょうか?

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