「村山たか」は、桜田門外の変で暗殺された井伊直弼を助ける女スパイとして、幕末に暗躍した女性です。

美貌に恵まれ多くの男性を虜にしたものの、最後は尊王攘夷の志士たちの天誅に遭い、悲劇の人生を送ることになってしまいます。

この記事ではそんな「村山たか」の波乱の生涯について、簡単にまとめてみました!

村山たかの生涯

藩主の妾、僧侶の子を出産、離縁など・・若いころから波乱続き

村山たかは、1810年、近江国の多賀神社般若院の社僧と彦根の芸者との間に生まれました。

そして多賀神社の神官に預けられて成長します。

生まれついての美貌に加えて多賀神社で歌舞を仕込まれたたかは、18歳で彦根藩主・井伊直亮の妾になります。

ところがその後すぐに暇を出され、京で芸妓をするうちに金閣寺の僧侶の子供を妊娠。

寺侍に譲り渡されますが、男児・帯刀(たてわき)を出産後、母子ともども離縁されてしまいます。

井伊直弼と出会うも、絶縁される

そんなたかは、彦根にもどり生活する内に井伊直弼のもとへ出入りするようになります。

その時たかは30歳、井伊直弼は25歳。

2人は深い仲になりますが、その後なぜか遠ざけられ、たかは多賀神社へ帰されます。

その理由は、たかが直弼の子供を身ごもったためだとも、直弼が側室を迎えたためだとも言われているのですが、はっきりしません。

ただ、直弼がたかとの絶縁を命じて家臣に宛てた手紙は残されています。

直弼の師と親しくなり、女スパイに

直弼に絶縁されたたかは、多賀神社に参拝した長野主膳という人物と出会います。

偶然にもこの長野主膳と言う人物は井伊直弼の国学の師であり、大老となった井伊直弼の手足となって働く人物でもありました。

たかは主膳の門弟になり、同時に愛人になりながらも、かつて愛して絶縁された直弼のためのスパイ活動を行うようになります。

芸事が達者なたかは怪しまれることなく様々な屋敷に出入りし情報を収取。

その情報をもとに井伊直弼が断行したのが「安政の大獄」と言われています。

安政の大獄で恨みを買った直弼。たかも天誅の道連れに・・

しかし大老・井伊直弼の時代も長くは続きませんでした。

安政の大獄で尊王攘夷派の恨みを買った直弼は、桜田門外の変で暗殺。

直弼の手足だった長野主膳も、村山たかも、尊攘派の天誅を受けることになります。

主膳は斬首、たかは真冬の三条大橋に「生き晒し」という目に遭います。

生き晒しにあったものは、息絶えるまで打ち据えられるものがほとんどでしたが、たかの場合は幸運なことに3日後に尼僧によって助け出されました。

助かったたかは出家し、金福寺という寺で直弼や主膳の菩提を弔って暮らしたということです。

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たかの遺品には、直弼と親しかったころにもらった直弼直筆の和歌の軸があったと言います。

絶縁され、他の男性の愛人になっても、やはり心の中で一番想っていたのは井伊直弼のことだったのでしょうか。

多くの男性に愛されながらも、本当に愛した男性の側にはいられない寂しさが、たかをスパイとしての行動に駆り立てたのでしょうか。