日本で最年少の留学生にして最初の帰国子女となった津田梅子。

そんな彼女の生涯を分けてお伝えする、今回は「留学編」です。

「生い立ち編」はこちら↓

津田梅子の生涯・生い立ち編「実は徳川家とは親戚?実家は農家!?」

初めての女子留学生たち

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1871年に出発した岩倉使節団。

ここに北海道開拓使次官の黒田清隆が陳情して、日本で初めての女子留学生たちが加わることになります。

その中の一人が津田梅子でした。

梅子はその時6才と最年少。

留学期間はなんと10年(!)とされていました。

梅子の他の女子留学生たちは、以下のとおりです。

吉益亮子 東京府の士族で秋田県吏の娘。

上田貞子 新潟県士族で外務省役員の娘。

山川捨松 会津藩出身。兄も同じく政府の派遣留学生として既に渡米。

永井繁子 兄が幕臣・益田孝

梅子はこの4名と一緒に、見知らぬ国でこの後10年も暮らすことになるのです。

梅子のアメリカでの暮らし

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渡米した梅子たちはワシントンで留学生活を行うことになります。

最初の2カ月はアメリカでの生活に慣れるため、日本公使館の書記官ランマンの家でホームステイ。

その後家を借り、5人で共同生活を行います。

日課は午前中に英語の勉強のみ。

午後は自由時間でした。

少女たちの負担を考えてか、ゆとりのあるスケジュールのように感じますが、次の年になると体調を崩し帰国するものが現れます(吉沢益子と上田貞子)。

これを機に、残った3名は別々の家に預けられ本格的な教育を受けるようになりました。

梅子は同じ年に現地の小学校に入学。

6年で無事卒業し、アーサー・インスティチュートという高校に入学します。

そうしてアメリカで勉強しているうちに留学期限の10年を迎えますが、梅子は高校の卒業資格を受け取るために、もう1年をアメリカで過ごすことを決意します。

(アメリカに残っていた3名の留学生のうち、延長したのは梅子と捨松。

もう1名の繁子はちょうど音楽学校を卒業し予定通り帰国した。)

☆☆☆

こうして10年の留学生活を全うするばかりか自ら懇願して延長までした梅子。

キリスト教の洗礼まで受け、アメリカでたくさんの刺激を受けてきたようです。

日本に帰国した時、梅子は17才になっていました。

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