陰陽寮が設置され「陰陽師」という役職が誕生した平安時代。

陰陽師は次第に、一般貴族向けの仕事をする陰陽師と、天皇に選ばれた陰陽師に分類されていくことになります。

かの有名な安倍晴明はもちろん、天皇に選ばれた陰陽師。

彼らは「蔵人所(くろうどどころ)陰陽師」と呼ばれ、特別な仕事を請け負っていました。

(以下の内容は、「陰陽道と平安京 安倍晴明の世界(淡交社)」を参考にまとめています)

陰陽寮に所属する陰陽師と、「蔵人所陰陽師」の違い

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陰陽寮が設置された当初。

陰陽師の仕事と言えば国家に関わる占いや祓い・祭りをすることでした。

ところが時代が進み平安時代中期ごろになってくると、仕事の内容が徐々に変わってきます。

天皇だけでなく、一般の貴族までも陰陽師の占いを必要とするようになってきたのです。

それは、「怨霊」や「物の怪・鬼」の存在が一般市民にまで広がったから。

それに伴い、貴族の社会では呪詛によって相手を失脚させるという「呪い」が横行するようになったのです。

そこで陰陽寮の陰陽師たちは、こうした貴族個人の依頼を受けるようになりました。

一方、天皇は陰陽寮に所属するしないに関わらず、自ら陰陽師を選んで占いに指名するようになります。

(ただしあくまでも、陰陽寮に所属したことがあるもので、その後別の役職に就いているもの)

彼らには「蔵人所陰陽師」という役職名が与えられ、天皇個人に関する占いをするようになりました。

「蔵人所」とは、もともとは機密文書や訴訟を扱う機関でしたが、後に宮中の一切を取り仕切る最重要機関になった所。

そこに所属した「蔵人所陰陽師」もまた、最高機密の案件を扱う陰陽師として選ばれたのです。

安倍晴明も、選ばれた「蔵人所陰陽師」だった

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現代で最も有名な陰陽師と言えば「阿部晴明」。

その安倍晴明も蔵人所陰陽師をつとめていたことが分かっています。

ただしこれは既に晩年にさしかかっての話しで、現在の人気につながる表立った活躍をしたのは、陰陽寮に所属していたころだと考えられています。