明治維新により今までの地位を失った武士たちの多くは、慣れない商売に手を出して没落していきました。

その一方で、ごくわずかに実業家として成功した者も。

この記事では、そんな明治維新後の武士たちの光と闇について、特に元幕臣たちの行く末に焦点を当てて調べてみました。

「商売」に手を出した元幕臣たち

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江戸幕府が瓦解した後、幕府に仕えた「幕臣」たちの行く末は二手に分かれることになりました。

一方は、無禄で徳川家が移住した静岡藩へ移住し、徳川家とともに生きること。

もう一方は東京に残り、新たな道を歩むことでした。

その新たな道を選択した元幕臣たちが始めたのは、多くの場合が「商売」です。

元幕臣たちは主に飲食業や古物商として新しい人生を始めました。

「士族の商法」で零落する武士たち

しかし、武士たちが慣れない商売をどんなに頑張ったところで、もともと商売をしていた商人達には適いません。

その上、元幕臣たちはそのプライドをなかなか捨てられなかったので、

なんとか身元を隠そうと顔を隠した怪しい商売の仕方をしたり

武士の時の気分のままの横柄な態度で接客したり

逆にバカ丁寧であったり・・

と、上手くいかないのは目に見えていました。

二束三文で買い漁られた代々の名品

そんな素人商売だったので、元幕臣たちが売ろうとした骨とう品の数々は本来の価値よりもはるかに安い値段で買い漁られていったといいます。

幕臣の家に代々伝わるのは名品揃いに違いありませんが、彼らはその価値通りに売る術を知らなかったのです。

こうして家の財産だけ奪われ、武士たちは没落していきました。

実業家に華麗なる転身をした元幕臣「福沢諭吉」

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そんな没落する元幕臣たちがいる一方で、後世に名前を遺すほどの成功をおさめた元幕臣がいます。

その人物とは、福沢諭吉です。

福沢諭吉は豊前中津藩の家臣の家に生まれ、幕府が倒れる三年前に旗本に取り立てられました。

彼は明治維新後、教育家・啓蒙家・実業家として、数々の事業を成功させていくのです。

諭吉の名前を世に知らしめたベストセラー「西洋事情」

洋学と言えば「蘭学」が主流だった時代から「英語の重要性」に目を付けて学んでいた福沢諭吉。

彼は幕府の遣米使節に護衛のため随行する咸臨丸に乗り、アメリカを訪れるチャンスを手にします。

その経験が買われ、福沢諭吉は幕府に外交文書の翻訳者として仕えることになるのです。

さらにその後は、通訳としてヨーロッパ行きを命じられます。

その経験をもとに書いた本が「西洋事情」と呼ばれるもの。

この本がベストセラーとなり、諭吉は一躍有名となりました。

慶応義塾を起点に様々な事業活動

江戸幕府が崩れると、福沢諭吉を徳川家にお暇願いを出し、もともと開いていた蘭学塾を「慶應義塾」と名付けて教育活動を行うようになります。

それだけでなく、自ら出資して洋書輸入のための商社(のちの丸善)を設立したり、「時事新報」という新聞を発行したりもしました。

福沢諭吉の手腕は当然明治政府にも認められ、何度も出仕を要請されますが、最後まで断り続けたと言います。

☆☆☆

没落した武士・成功した武士の明暗を分けたのは先見性と視野の広さでしょうか。

いち早く英語の必要性に気付いたところから、福沢諭吉の成功は決まっていたのでしょう。

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