明治から第二次世界大戦後まで存在した、日本の上流階級「華族」。
この記事では、華族のお嬢様たちがどのような生活をしていたのかを、調べてまとめてみました。
まさに箱入り娘!華族令嬢の生活は想像以上に閉鎖的
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「箱入り娘」といって、箱に入れられたように大切に育てられた女性を指す言葉があります。
明治期の華族のお嬢様の生活は、まさに「箱入り」という表現が似合います。
お嬢様たちはまるで透明の箱に入れられたように、外界との接触を最小限にして生活させられていました。
ではどのような生活だったのか、さっそく見てみましょう!
監視下での生活が当たり前
大名から華族になった人々の場合、子供の世話は女中たちの手に任せられました。
そして何をする時でも女中たちは側を離れなかったので、お嬢様たちは自由に何かをするということがありませんでした。
こっそり誰かに会ったり買ったり出かけたりなどは、許されなかったのです。
お嬢様のお買い物
そんな監視下でのお嬢様のお買い物はどのようなものだったのでしょうか。
私の貧困な「お嬢様」のイメージでは、気に入ったものを端から端まで好き放題買う・・という感じですが・・
実際には、「店までお買い物に出かける」ということはほとんど無かったようです。
生活必需品や衣類は、出入りの商人が用意をして家まで届けてくれるので、店まで足を運ぶ必要はありません。
また、もし出かけた先で何かが必要になっても、お嬢様自身がお金を払って購入するということはしません。
お嬢様はお金を持たされることは無かったので、お付きの女中が代わりに支払いをしました。
お嬢様のお出かけ
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またお嬢様は、外の世界の人々と関わることを避けて育てられたので、外出先も限られていました。
出かけるときは一般市民と交わらないようにするため、自家用人力車か馬車で出かけます。
自家用車が使用されるようになるのは大正に入ってからのことでした。
外出先は、学校か別邸か、一流ホテルかレストランや劇場など。
学校でもお友達との付き合いは学校内に限られ、外での交流はありません。
彼女たちは豪奢な暮らしをしながらも、このように制限された環境の中で生活していたのです。