「待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)」は、鳥羽天皇の妻であり、崇徳天皇の母親として知られています。
ところがこの夫婦・親子関係には大っぴらに出来ない秘密がありました・・。
この記事では、「待賢門院璋子」という平安の美女の、異常な関係に巻き込まれて翻弄された生涯をお伝えします。
鳥羽天皇の妻「待賢門院璋子」は・・生まれながらにして白河法皇の愛人
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鳥羽天皇の妻として知られる「待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)」は、藤原公実(きんざね)の末娘として生まれました。
生まれたころから「美しい」と評判だった璋子は、白河法皇に請われて養女に出されます。
そんな璋子を、白河法皇は溺愛しました。
赤ん坊の璋子を寝巻の中に入れて添い寝し、この異常な習慣は璋子が大きく成長するまで続いたのです。
璋子はいつからか、養女ではなく白河法皇の愛人になってしまいました。
白河法皇と言えば、宮中の女官すべてに手を出したほどの異常な性欲の持ち主だと言われています。
そんな白河法皇の愛人として幼いころから接していた璋子にも、良くない噂が流れるように。
そのせいで璋子が年頃になっても、嫁の行先が見つからないほどでした。
嫁ぎ先探しに困り果て・・愛人の孫の嫁にさせられる
悪い噂のせいで嫁ぎ先がなかなか決まらなかった17才の璋子。
彼女のために白河法皇が用意した嫁ぎ先はなんと自分の孫・鳥羽天皇でした。
鳥羽天皇は5才で天皇に即位し、その時15才になっていました。
璋子がいかに怪しい噂を持っていても、まだ幼い天皇の元へは届いておらず、また天皇の実母は璋子のおばです。
そのため、璋子は悪い噂から守られることが出来たのです。
夫を拒んで愛人を通わせる璋子。愛人の子を産む
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ところが璋子は、夫である鳥羽天皇を子供扱いし、これまで通り愛人である白河法皇との関係を続けていたといいます。
やがて璋子は子供を身ごもりますが、鳥羽天皇からすれば自分の子供ではないことが明らかです。
生まれた子はやがて成長し「崇徳天皇」と呼ばれるようになりますが、この子を鳥羽天皇は「我が子」ではなく「叔父子(おじこ)」と呼びました。
その後、璋子には5人の子供を産みますが、誰が鳥羽天皇の子で、誰が白河法皇の子かは、定かではありません。
第4皇子は特に白河法皇に顔がそっくりだったことから、「後白河天皇」と呼ばれるようになります。
さらに「崇徳天皇」と「後白河天皇」は、兄弟ながら対立し、保元の乱を引きおこします。
夫に見捨てられた晩年。若い武士と恋仲に
そんなドロドロの夫婦・親子関係の中、当然のように、年老いた璋子は夫から見限られてしまいます。
上皇となった鳥羽上皇には、新しい皇后が選ばれ、皇后の位につけなかった璋子のプライドは傷つけられるのです。
しかし璋子のそばには、新しい男性がいたといいます。
その男性とは、鳥羽上皇の北面の武士で「佐藤義清」。
後に出家し「西行」と呼ばれることになります。
彼は璋子のボディーガードを務めていたところ、恋におちたようです。
西行が璋子を想って詠んだと言われる和歌が、百人一首に収録されています。
嘆けとて
月やはものを
思はする
かこち顔なる
わが涙かな
(「泣きなさい」と、月は私の心をかき乱す。そのせいで私の頬には、涙がながれている)
この和歌の「月」は、璋子のことではないかと考えられているのです。
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