平家物語で語り継がれる悲恋の物語に、「祇王(ぎおう)」という実在の白拍子が登場するものがあります。

祇王は一時は平清盛に寵愛されたものの、清盛の心変わりにあっさりと捨てられ、庵にこもり念仏を唱えながら生涯を終えます。

この庵こそが現在の京都にある「祇王寺」です。

この祇王寺にまつわる悲恋伝説も、平家物語のテーマである「盛者必衰」を表しています。

魅惑の白拍子「祇王」と、平清盛の出会い

平家物語に登場する「祇王」は、実在の人物だったと言われています。

父は近江国(滋賀県)の橘時長(たちばなときなが)で、争乱で父を亡くして白拍子となりました。

白拍子とは、男装をして歌や舞を演ずる遊女のことです。

平家物語の中では、祇王と平清盛の関係は以下のように語られています。

あるとき平清盛は、祇王の舞を見て一目で気に入り、館に招き入れます。

祇王は平清盛の寵愛を受け、妹の祇女(ぎじょ)とともに都で一番の人気を誇るようになりました。

清盛は祇王・祇女の姉妹と2人の母のために座敷を建て、大切に庇護します。

若く美しい女性の登場で心変わりをする清盛

ところがある日、清盛の屋敷に若く美しい白拍子が訪ねてきました。

その白拍子は名前を仏御前(ほとけごぜん)と言い、自分も祇王のような寵愛を受けるために自ら訪れたのでした。

そんな仏御前を、清盛は

「遊女のぶんざいで」

と、無下にあしらいます。

しかし同じ白拍子である仏御前を不憫に思った祇王は、仏御前を座敷に招き入れ舞を踊らせました。

その様子を見ていた清盛は、仏御前の美しさにあっさりと心変わり。

なんとそれまで大変な可愛がり様だった祇王とその母妹を、追い出してしまうのです。

涙にくれる祇王は、襖に歌を書き付けて屋敷をさります。

萌え出ずるも枯るるもおなじ野辺の草

いづれか秋にあはで果つべき

(寵愛を受けた仏御前も捨てられた私も、しょせんは野の花と同じ。

いずれは飽きられ、枯れていく・・)

さらに清盛の酷いことに、祇王に追い打ちをかけるように、

「仏御前のために舞をまえ」

という屈辱的な命令までする始末です。

庵にこもり念仏の日々・・そこへ捨てられた仏御前が尋ねてくる

清盛の心変わりに絶望した祇王たちは命を絶とうとしますが、なんとか思いとどまり、嵯峨野の庵・往生院(現在の祇王寺)で念仏を唱える日々を送ります。

するとある年の秋、庵を訪れる人物が。

そこにいたのは、尼姿の仏御前でした。

仏御前はかつての祇王のように平清盛にあっさりと捨てられ、祇王らと共に往生院にこもるようになります。

☆☆☆

以上が平家物語の内容ですが、清盛が本当にここまで薄情だったのかは実際には分かりません。

しかし物語の中では、清盛と白拍子の愛もこのように「儚い栄光」「盛者必衰」という形で描かれているのでした。