「常盤御前」は源義経の母でありながら、平清盛の寵愛を受けるという、激動の人生を送った女性です。

そんな常盤御前には、

子を守るために清盛に従った健気な母

としての評価と

命の為に清盛に自分を売った悪女

という評価があります。

果たして彼女は、賢母なのでしょうか。

それとも悪女なのでしょうか。

常盤御前の生涯を振り返りながら、考えたいと思います。

1000人に1人の美女「常盤御前」

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常盤御前は出自は分かっていませんが、歴史に登場するのは1150年のこと。

「平治物語」によれば、1150年に近衛天皇の中宮・藤原呈子が立后。

それにあたり中宮の雑仕女(ぞうしめ。雑用や使い走りをする下働きの女性のこと)を採用しました。

それは都中の美女1000人の中から選ばれた大変な美女で、それが13才の常盤御前でした。

常盤御前の美しさはたちまち中宮の住まいに出入りする男たちの間で評判になります。

その男たちの中で常盤御前の心を射止めたのが、源氏の棟梁だった源義朝でした。

義朝の子を産むも、平氏の台頭で窮地に立つ

義朝の寵愛を受けた常盤御前は、今若丸、乙若丸、牛若丸の三人の男の子を生みました。

三人目の牛若丸こそが、のちの源義経です。

妾の一人でありながら源氏の棟梁の息子を産んだ常盤御前は、大出世したかのように見えました。

ところが牛若丸を産んですぐ、常盤御前の運命は暗転します。

1159年に平治の乱が起き、夫の義朝は平清盛によって討ち死に。

常盤御前のもとへも、厳しい追手がせまってきました。

常盤御前は子供たちを連れて、大和国へ逃れていきます。

母や息子の助命のために、清盛の愛妾になる

しかし常盤御前の母が捕らえられたと知ると、常盤御前は清盛のもとへ行き家族の命乞いをします。

清盛は常盤御前の美しさに目を奪われ、

「常盤御前が自分のものになるのなら」

と、母親や子供たちの命を助けたと言います。

これが本当の話しなら、常盤御前は子供たちのために犠牲になった哀れな母なのかもしれません。

ところが一方で、義朝の嫡男である頼朝の命も奪われてはいません。

もしかしたら子供たちの命と常盤御前と清盛の関係には、何の関係もないかもしれません。

義経の悲劇と、常盤御前のその後

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命を助けられた常盤御前やその子供たち。

ところがのちに義経と頼朝が対立することで、彼らの平安は崩されていきます。

義経と兄弟たちは都落ちしたのちに討ち死に。

そのときまた別の男性のもとに嫁いでいた常盤御前のその後は明らかになっていませんが、

義経の後を追っていった途中で殺害された

とも

新しい夫との間に出来た子に養われて穏やかな晩年を生きた

とも言われています。

常盤御前は賢母?それとも悪女?

源平の争乱をまっただなかで体験しながら生き抜いた常盤御前。

彼女は最初の夫・義朝が亡くなった後、清盛や別の男性と関係することになりますが、それは賢母あるいは悪女ゆえにだったのでしょうか?

案外どちらも関係なく「ただ請われるままに妻になっただけ」という気がします。

その時代はそれが女性の生き方であり、きっと彼女に選択肢は無かったのではないでしょうか。

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