るろうに剣心の人気キャラの一人といえば「四ノ森蒼紫」が挙げられます。

その蒼紫さまは架空のキャラだそうですが、彼が率いていた「江戸城お庭番衆」は歴史上実在していました

ここでは、「江戸城お庭番衆」にまつわる史実をお伝えします。

実在した「お庭番衆」!その創設者は徳川吉宗

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るろ剣ではキワモノ揃いの集団として描かれていた「江戸城お庭番衆」。

あんなのホントにいたのか・・?と思ったら、実在していました!

史実によると、幕府には諜報活動の任務を負った「お庭番」という役職がありました。

この役職を作ったのは紀州徳川家から将軍になった「8代将軍・徳川吉宗」です。

「お庭番」という名前の由来は、表向きの仕事を「大奥の警備やお庭の番」としていたから

代々大奥の警護をするものは身分の低いものでしたが、その仕事柄、将軍に直接お目見えすることが許されていました。

その利点が活かされ、「お庭番」が諜報員の隠れ蓑になったのです。

諜報員ということは、メンバーは忍者?

「お庭番」の仕事が諜報活動のため、その正体は「忍者?」と想像してしまいます。

ところが、8代将軍の吉宗のころには、忍者は既に衰退していました。

かつてのように諜報員としての機能を果たしていなかったのです。

「お庭番」は、その衰退した忍者の代わりに置かれました

ということで、諜報を担っていたものの彼らは忍者ではなかったようです。

「お庭番衆」が設立された本当の目的

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さて、吉宗はなぜお庭番衆を江戸城に置く必要があったのでしょうか?

それは、吉宗が紀州徳川家出身の将軍であることに由来します。

江戸を基点としていなかった吉宗には、江戸城に信頼できる情報源がありませんでした。

そこでその弱点を補うために、諜報員の役割を持ったお庭番衆を設置します。

ただし吉宗は紀州にいたころから、すでに同様の諜報員を活用していたのだとか。

紀州藩では彼らは「薬込役(くすりごめやく)」と呼ばれ、奥向きの職務をさせながら、裏では情報収集活動をさせていたといいます。

このことから、吉宗は「情報」にとても価値を置いていたことが分かります。

☆☆☆

「お庭番」は存在していましたが、るろうに剣心で描かれていたような戦闘集団では無かったようです。

その点は少し残念ですが、実在していたということはロマンがありますね!

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