「蚩尤(しゆう)」とは、キングダムの主要な登場人物「羌かい(きょうかい)」が属する暗殺集団です。

大変現実離れした集団ですが、実は「蚩尤(しゆう)」という集団が中国の歴史書に存在していたことが分かりました。

また、意外なことに日本の陰陽道にも「蚩尤」という言葉が登場しています。

この記事では、中国の歴史書で語られる「蚩尤」と、日本の陰陽道で使われた「蚩尤」について調べてみました!

キングダムで描かれた「蚩尤」

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キングダムで描かれた蚩尤とは、古代から続く女性ばかりの暗殺集団。

闘い方の特徴は、巫舞(みぶ)を踊ることで一種の催眠状態になり、剣をふるうこと。

ただし「暗殺集団」と言いながらも、「蚩尤」という名前を名乗ることが出来るのは「祭(さい)」をくぐり抜け生き残ったただ一人のみでした。

中国の歴史書で語り継がれた「蚩尤」

歴史書によると、蚩尤が存在したのは黄帝の時代。

(黄帝の時代は、紀元前2510年から紀元前2448年ごろだと語り継がれています。)

黄帝に対して兵乱を起こし、滅ぼされた伝説の諸侯として取り上げられています。

漢の時代に作られた「龍魚河図(りゅうぎょかと)」という書物によれば、蚩尤は鉄の頭に獣の体を持つ化け物のように描かれていて、八十一人の兄弟がいたそうです。

彼らは雨や風を自由自在にあやつり、人を殺しては無道の限りを尽くしました。

そこで黄帝に滅ぼされたときには、蘇ることのないように胴と首を別々に葬られたほどです。

また司馬遷の書いた「史記」では、蚩尤たちが葬られた墓を「蚩尤塚」と呼んでいました。

そして彼らを戦争の神である「兵主」として祭ったといいます。

さらに毎年10月には蚩尤塚から赤い旗のような気が立ち上り、これは「蚩尤旗(しゆうき)」と呼ばれました。

日本の陰陽師と「蚩尤」

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中国の歴史書に登場した蚩尤は、意外なことに日本で陰陽師たちが使った陰陽道にも登場します。

陰陽道によれば「赤い気」を「蚩尤気」と呼び、大きな変動の前触れであると考えていました。

(この「赤い気を蚩尤気と呼ぶこと」は、中国の歴史書の影響を受けています。)

実際に、平安時代末期の1185年正月のこと。

陰陽師の安倍広基、資元は京都の東南(巽)の方角に赤い気が立ち上るのを観測し、これを「蚩尤気だ」と占いました。

そしてその結果「平家が滅びて源氏の天下になる」ことを予言。

この予言はみごとに当たり、同年の3月に平家は壇ノ浦の戦いで敗れ滅亡することになったのです。