とにかく「性格が悪い」イメージの石田三成

時代劇でも悪役として描かれることが多いのですが・・

実は友情に厚い「いい奴」だったかも!?という逸話が残されています。

これを読めば、今までのイメージが覆されるかもしれません。

悪評の多い石田三成の本当の性格が分かる?大谷刑部との友情秘話

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傲慢

融通が利かない

人望がない

石田三成は多くの歴史小説、ドラマなどでそんな「魅力の無い人物」として描かれています。

でも本当のところはどうなんでしょうか。

確かに、石田三成のことをこの通りに評価する文献が残っています。

でも、広く語られることのない、美談もあるのです。

それは、彼の親友だったと言われる大谷吉継(通称:刑部)とのエピソードです。

茶会の流行った秀吉の時代。

石田三成や大谷吉継も参加しての茶会が開かれました。

当時の茶会では、一人ずつ一口飲んでから隣の人へ茶碗をまわすのが習わしでしたが・・

ハンセン病の大谷吉継に順番が回ってきた時、皮膚からうみが一滴落ちてしまったのです。

当然ながら、誰もその後に飲もうとは出来ません。

ところが石田三成は、嫌がることなく碗を吉継から奪うと、茶を一気に飲み干したのです。

当時、ハンセン病は命の危険が高いばかりか、命をとりとめても恐ろしい病の跡が残ってしまう病気でした。

私なら、いかに友達であっても飲めないだろうと思います。

それを躊躇せず飲んだ石田三成。

私たちが持っている「嫌な奴」というイメージとは、大きなズレを感じますよね。

石田三成の地元 滋賀県が全力を挙げて「嫌なやつ」イメージの払しょくに!

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関ヶ原の戦いに敗れたせいで、すっかり

「悪者としての三成」

が定着してしまった現代。

でも上記のように魅力あるエピソードを知ると、「本当はきっと違うのだろう」と思わざるを得ません。

それに三成の掲げた旗印、「大一大万大吉」の意味は、

「一人が皆のために、皆が一人のために動けば、人生は吉となり、この世に平和が訪れる」

これを聞くだけでも、きっと私たちの知らない英雄の側面があると思うのです。

石田三成の地元 滋賀県では、既に三成のイメージを変えるためのプロモーションが行われています。

ご参考:「石田三成×滋賀県」ポータルサイト

このサイトでは、今までの悪評いっぱいだった三成のイメージが覆される、素晴らしいエピソードがたくさん紹介されています。

試しに観てみると、三成に対する見方が変わりそうです!

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