武将たちが活躍した安土桃山時代は、文化的にも大きく発展した時代でした。
ここでは、安土桃山時代の代表的な文化人について、要点をまとめてお伝えします。
安土桃山時代の文化人
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千利休(せんのりきゅう)(1522-1591)
千利休は千家流茶の湯の開祖。
「わび茶」を完成した人物として知られています。
和泉国堺に生まれ、はじめは商人をしていましたが、武野紹おうに茶の湯を学び、若くして茶匠となりました。
ちなみに「利休」という名は1585年、朝廷で行われた茶会のときに正親町天皇(おおぎまちてんのう)から与えられた名前です。
織田信長、豊臣秀吉に仕えましたが、1591年秀吉の怒りを買い切腹させられてしまいます。
利休がなぜ秀吉の怒りを買ったかは、諸説あっていまだに定まっていません。
狩野栄徳(かのうえいとく)(1543-1590)
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狩野栄徳は室町時代の狩野派の絵師・狩野元信の孫です。
織田信長の御用絵師として、安土城の障壁画を描きました。
信長の死後は豊臣秀吉に仕え、
「山水花鳥図襖絵(さんすいかちょうずふすまえ)」
「唐獅子図屏風(からじしずびょうぶ)」
などを描きます。
「金箔の地に強烈な色彩でえがく」という狩野派独特の画法は栄徳が確立したもの。
江戸時代にも主流な流派として栄えていきました。
出雲阿国(いずものおくに)(1572- 没年不詳)
京の四条河原で歌舞伎踊りを演じたことで有名になります。
もとは出雲大社の鍛冶職人・小村三右衛門の娘で、出雲大社の巫女だったと言われています。
しかし確かなことは分かっていません。
出雲阿国が歴史上の資料に最初に登場するのは1582年のこと。
奈良で「ややこ踊り」を演じた、と残されています。
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