戦国時代、戦国時代、と言いますが、
具体的に戦国時代って、いつ・どのように始まったんでしょうか?
この記事では、戦国時代がはじまった経緯と時期、戦国大名の成り立ちについて解説します!
戦国時代のきっかけ「応仁の乱」
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戦国時代は室町時代
戦国大名が全国に割拠し、互いに領土の拡大を求めて争った時代。
それを私たちは「戦国時代」と呼びますが、この時代、実はまだ室町幕府が日本を治めていました。
そう、戦国時代とは、室町時代の後期のことを指しているのです。
室町時代は1336年に足利尊氏が征夷大将軍になった年から、1573年に織田信長によって滅ぼされるまで続きます。
その室町時代に「応仁の乱」が起こりますが、この乱がきっかけで全国に有力な大名たちが出現した時代を、戦国時代と呼ぶのです。
応仁の乱が戦国の世をつくった理由
4代将軍・足利義持以降、将軍の権力が弱まった室町幕府では、有力な守護大名が将軍の相続争いの中心に立つようになります。
その争いが特に過激化したのが、9代将軍の座をめぐっての細川氏と山名氏の争いでした。
これが「応仁の乱(1467~1477)」です。
応仁の乱がはじまると、全国から軍勢が集まり、細川氏と山名氏それぞれを応援し始めます。
京都の東西に分かれて陣をはった争いは実に11年間続き、その間に京都は焼け野原になってしまいました。
それだけではありません。
この戦乱の間に将軍や守護大名の統率力はみるみる衰え、各地の有力者たちは彼らから領地を奪い始めます。
こうして「戦国」の世が始まりました。
新しい実力者「戦国大名」
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応仁の乱をきっかけに始まった戦国時代。
「戦国大名」とは、応仁の乱以降に領地の奪い合いによって台頭した新しい実力者を指します。
有名な戦国大名に、越後(新潟県)の「上杉謙信」、伊豆(静岡県)の「北条早雲」、美濃(岐阜県)の「斎藤道三」などが挙げられます。
また家臣の中には、自分の主人を滅ぼして新しい大名となり、大きな力を持つものも現れ始めました。
このようなことを「下剋上」と言います。
家中を規律するために・・戦国大名が作った厳しい決まり
上記のような「下剋上」を防ぎ、領地内を統制するために、戦国大名たちは厳しいきまりを作りました。
「分国法」「家法」「法度」と呼ばれるものです。
その内容には、「家臣同士の勝手な縁組を禁ずる」などというものがあります。
有名な分国法に、今川氏の「仮名目録」、武田氏の「信玄家法」がありました。
☆☆☆
この戦国時代は、豊臣秀吉が全国を統一するまでおよそ100年近く続きました。
その間に室町幕府は織田信長に倒され、またその信長も家臣によって倒されるという、大きな権力の動きがあります。
また天下統一を果たした秀吉も、豊臣政権の基盤を盤石にする前にこの世を去り、統一後の日本を治めたのは徳川家康でした。
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