徳川家康が、生涯に多くの子供をもうけたことは大変有名です。
その数なんと20名ともいわれています。
しかしその中に、三組の双子がいたことはあまり知られていません。
というより、双子のうちの片方は名前や生まれた後の消息もよく分かっていないのです。
それはなぜなのでしょうか?
また、消息不明の方の子は、どのような人生を歩んだのでしょうか?
徳川家康の「消えた」子供
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徳川家康に双子が生まれたのは、
次男の秀康
三男の秀忠
六男の忠輝
の時。
三男の秀忠は後に徳川家康の後に征夷大将軍を継ぎ、江戸幕府の二代目将軍となった人物ですが、
そんな人物が双子であったなんて、ほとんど知られていません。
それもそのはずで、名前すら史料に残されておらず、その後の消息も不明だからです。
それは次男の秀康の時に産まれたもう一人の子も、同じでした。
ただ一人名前が残されているのが、忠輝と一緒に産まれた子で、幼名を「松千代」と言いました。
その後の運命は分かっていませんが、この子供を松千代と名付けたことには興味深いものがあります。
徳川家の長子は代々幼名に「竹千代」と名付けられるのですが、「松」といえば竹よりも格が上。
いったいどのような理由から、双子の片方に「松千代」と名付けたのでしょうか。
その理由は定かではありません。
双子のうち一方は、なぜ存在を消されるのか
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徳川家に産まれた双子の一方が消息不明であるのは、実は特別なことではありませんでした。
江戸時代には「双子」は忌み嫌われた存在で、生まれた後に分離・または殺されてしまうことが普通だったのです。
(つまり、双子であるという事実を抹消しようとした)
さらに家康の双子については、生まれた時代は戦国時代。
一方を影武者として育てたという可能性も大きいのです。
家康に三組の双子が生まれるのは、どれくらいの確率?
最後に、いかに子だくさんの家康とはいえ、双子が三組も生まれるというのはどれくらいのなのでしょうか?
計算してみました!
全員が一卵性双生児であったと仮定すると、Wikipediaによればその出生率は「0.4%」。
三回生まれたので、「0.4×0.4×0.4」を計算すると・・
なんと、0.064%!!
1人の男性から双子が三組も生まれるのは、これほどまでに低い確率だったのです。
(確率の考え方があっているか、少し自信がありませんが・・)
しかしながら双子の生まれやすい地域、民族もあるそうで、その食習慣も影響するよう。
家康や側室たちの食生活も影響したのかもしれませんね。
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