もともと「松平」姓を名乗っていた徳川家康。
なぜ松平から「徳川」へ改名したのでしょうか?
それはなんと、いずれ来る「天下統一の時」へ向けた、最も重要な布石の一つだったのです。
この記事では、
徳川家康が松平姓から徳川姓へ改名した理由
を解説するとともに、それと同時に浮かんでくる疑問
「徳川家の本当のルーツとは?」
について考えてみました。
徳川家康が「徳川」に改名したのは1566年
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あまり知られていないかもしれませんが、徳川家康はもともと「松平次郎三郎元信」を名乗っていました。
その後名前を変え、「松平元康」に。
そして1566年に、さらに改名して現在語り継がれている名前の「徳川家康」になっています。
この「徳川」姓への改名について、家康は朝廷に対し「旧姓に戻すため」という理由を述べています。
しかしこの「旧姓に戻す」とは、一体どういう意味があったのでしょうか?
実はここにこそ、将来「天下統一」を果たすための重要な理由が隠されているのです。
「徳川」姓への改名は源氏の正嫡を名乗るため
日本の歴史に詳しかった徳川家康。
彼は、「源氏の正嫡でなければ征夷大将軍になることは出来ない」ということを知っていました。
征夷大将軍に任命されなければ、いくら武力で天下を統一したところで確固たる地位を確立することは出来ません。
彼はそのことに気付き、家康による天下統一がまだまだはるか遠くにあったはずの1566年の段階で、
「自分は源氏の正嫡である徳川氏の末裔だ」
と周知徹底させたのです。
ちなみにこの家康の主張は、
清和源氏の支流である新田氏の子孫の新田義季が「徳川四郎」と名乗っていた
徳川四郎は松平氏の祖先だ
というものです。
この説の真偽については後で触れますが、1566年と言えば家康はまだ25歳。
そして周りには武田信玄、織田信長などの圧倒的な勢力がありながら、すでにこの段階で家康は
自分が天下を統一する
というビジョンを持っていたことが分かります。
徳川家は本当に源氏の正嫡か
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ところで家康が主張した
「松平氏は、清和源氏の子孫の徳川四郎の末裔」
という説は本当なのでしょうか?
実は長い間これは「本当だ」と信じられていたのですが、現代の研究によりどうやら詐称であることが明らかになっています。
というのも、新田義季が「徳川」を名乗ったという事実が、徳川氏によって残された文書以外に見つけられないからです。
では徳川家康のルーツはいったい?
徳川家康のルーツが源氏ではないとしたとき、浮かび上がってくる疑問は当然ながら
「では徳川家の本当のルーツは?」
ということです。
徳川家が三河の勢力であった松平氏であったことは確かですが、その成立は明確になってはいません。
ただ江戸時代初期に作成された、松平氏の家老の家に伝わる「松平氏由緒書」では、松平氏の始祖は「松平親氏」だとされています。
それによると親氏はもともと旅人で、三河国の裕福な家であった松平家へ逗留した際に気に入られ入り婿し、周囲の土地を買い取ることで支配地を増やしていったと言います。
年代ははっきりと示されていませんが、1360年から1460年ごろの話しだと考えられています。
これが本当ならば、徳川家康のルーツは由緒正しい家系でもなければ武士でもなかったということです。
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