徳川家康の最初の正室・瀬名(築山御前)と言えば、悪妻として有名です。

過度のヒステリー、男との密通、夫を裏切り敵方と内通・・など、挙げたらキリがありません。

でもこれらの瀬名の罪状は、果たして真実のものだったのでしょうか?

真実でないとしたら、なぜねつ造されなければならなかったのでしょうか?

瀬名が夫・家康に殺された理由

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瀬名と徳川家康との出会いは、家康が人質にとられていた駿府においてでした。

今川義元の姪である瀬名は1557年に家康と結婚。

長男・信康と長女・亀姫をもうけます。

しかし家康が故郷の岡崎に戻って来てからは今川家の仇敵・織田信長と手を結ぶことになり、次第に夫婦の仲が冷めていったといいます。

瀬名は家康を恨み、なじるように。

その態度がかえって家康を瀬名から遠ざけ、ますます瀬名はヒステリックに振舞うようになりました。

家康が手をつけた女性を激しく虐待したり、信康の正室に嫁いできた信長の長女・徳姫をいびったという話もあります。

またそれでも瀬名の心は満たされず、ついには減敬という医師と密通し、減敬にそそのかれて敵方の武田に内通しようとした門で長男の信康とともに命を絶たれました。

瀬名の密通、敵方との内通は真実か?

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上記のように、徳川家康の最初の正室・瀬名といえば異常なまでの悪妻として有名です。

それも敵方と内通して夫を陥れようとするなど、言語道断。

殺されても止むを得なかったと言えるでしょう。

ところがこれについては文献に確かな記述が無く、妻殺害のためにねつ造された罪状であるとも考えられるのです。

今川家の人間であった瀬名は、確かに今後の織田との関係では邪魔でしかなく、またかつて人質にとられていた恨みから家内で白眼視されていたということもあったのでしょう。

天下を取るために用意周到だった徳川家康

しかし果たして、子供まで巻き添えにして妻を殺害する必要はあったのでしょうか?

それについては、瀬名の罪状が真実であったか否かと同様に確かめることは出来ません。

でも徳川家康は、どのような状況にいても「天下を取る」ということを意図して生きていた武将です。

(参照「徳川家康「松平から徳川への改姓」の理由と、徳川家の本当のルーツは?」

その大義のために、妻と長男は犠牲になったということも、あり得ることです。

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