アマテラスに仕え託宣を伝えた女性「巫女」。

巫女は古代より日本に存在し崇められていましたが、長い歴史の中で次第に力を奪われ抑圧されています。

ここでは、神話の世界の巫女から民間巫女、遊女にいたるまで、巫女の歴史についてまとめてみました!

巫女のはじまりは「アメノウズメ」

古事記や日本書紀の世界にはたくさんの女神が登場しますが、その女神たちと交信し意思を伝える巫女として登場するのが「アメノウズメ」です。

象徴的なシーンは「天の岩戸」伝説。

アメノウズメは岩戸にこもったアマテラスを外へおびき寄せるために、神がかり的な踊りを踊ります。

これはアメノウズメが「儀式によって神と交信する」ことの象徴ですが、この役割は時代が進むと皇女や皇后の役割に変わっていきます。

神と交信した皇女・皇后

時代が進み垂仁天皇のころ。

アメノウズメが担っていたような「神の声を聞く」役割は、天皇の娘である「皇女」や妻である「皇后」に移っていきます。

例えば「倭姫命(やまとひめのみこと)」は、アマテラスのご神体を祀るのにふさわしい場所を探すためにアマテラスと交信し、伊勢の地を探し当てます。

そして祠と斎宮(いわいのみや)をたて、アマテラスに奉仕するための神殿としました。

倭姫の斎宮での役割はその後も皇女によって引き継がれますが、後醍醐天皇のころに消滅します。

また仲哀天皇の皇后・神功皇后は神がかりとなって、天皇亡き後の政治をすすめました。

神功皇后は新羅征討などを行いましたが、それも「神の声」に従って行われたと言われています。

しかしこうした巫女的な役割は、父権制(男性が家族の中で長となる制度)が日本に入ってくると、皇女・皇后から切り離されていきます。

女性から神聖な力を奪い、男性に権力を集中させるためでした。

仏教の伝来で「穢れ」を負った巫女

さらに仏教が日本に普及すると、神聖な存在であった女性が一転して「穢れた存在」と考えられるようになります。

そのため「神と交信する」だけが役割だった巫女の中にも、「穢れた死者の声を聞く能力(口寄せ)」を持つ民間巫女が現れるようになりました。

現在にも残っている、イタコやユタがその類です。

また、鬼女・山姥・雪女など、女性の負の側面をもつ物の怪の伝説が生まれるようになったのもこの時代ごろから。

こうした女性の化け物同様、民間巫女もタブーと結びついた「穢れた存在」としてさげすまれるようになります

民間巫女は一つの神社に奉仕せず放浪を常とし、彼女たちの一部は遊女へと発展していきました。

力を奪われた現在の「神社の巫女」

近代から現代に歴史が進むにつれ、女性が抑圧はさらにすすんでいきます。

それにつれて神社に仕える巫女たちからは、神がかり・シャーマン的な役割がはく奪されました。

正式には明治時代に、巫女による託宣が禁止され、巫女は神官の補助的存在としてみなされるようになります。

女性が神官になることも、明治時代から戦後まで認められていませんでした。

(ただし江戸時代までは女性が神官になることが認められていたとはいえ、「物忌」「忌子」などの差別的な名称がつけられていました。)

現代では女性神官が復活していますが、その理由も「神社の後継者問題」など、女性を尊重した理由からだとは言うことが出来ません。

☆☆☆

巫女の歴史とは、女性から不当に神聖な力が奪われた歴史でした。

先進的な女性を恐れたヨーロッパの「魔女狩り」にも通じています。