平成6年に青森県で発見された、地上10メートルの高さと推測される大建造物跡。
これは縄文中期のものと推測されており、日本書紀で言い伝えられている
「日高見国(ひたかみこく)」
のものではないかと言われています。
では日高見国とはどのような文明だったのでしょうか?
調べてみました。
日本書紀で語られる「日高見国」とは
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「日高見国」とは、日本書紀にも登場する、日本の東北地方に存在した古代の国です。
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征から帰還する際、陸奥国から常陸国に入るところで
「日高見国から帰りて」
という記述があります。
つまり日高見国は常陸国よりも北にあったと考えられています。
大建造物が日高見国のものだと考えられる理由は「ホツマツタエ」
「青森県で発見された縄文時代の遺跡が日高見国のものではないか」と推測される理由は、古代の文書「ホツマツタエ」にありました。
ホツマツタエでは「日高見国」の存在を述べるばかりか、そこに建てられた巨大建築物について繰り返し触れていると言います。
しかしその信ぴょう性は長らく不確かなものでした。
ところが平成になり、縄文中期のものと見られる巨大建築物跡が実際に発見されることになります。
また周囲の集落は、さらに昔の縄文前期までさかのぼることが出来ることも、明らかになってきました。
こうしてホツマツタエの記述内容が見直され、同時に日高見国の存在の信ぴょう性も高まっていったのです。
ホツマツタエで伝えられる日高見国の成り立ちと衰退
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「ホツマツタエ」には、大建築物の存在以外に
日本書紀では語られていない「日高見国の成り立ちと衰退」
も記されています。
ここでその内容を、簡単に見てみましょう。
日高見国は「世界のはじまりの地」
ホツマツタエによると、日高見国はこの世に生まれた最初の神「国常立尊(くにのとこたち)」が世界を創り始めた場所だと説明されています。
「国常立はそこに人々を生み出す産屋を建てた」とありますが、これが「青森県で発見された巨大建築物」と推測されます。
またこの産屋は神社の起源であるとも言われます。
日高見国を受け継いだタカミムスビは「豊受大神」に
クニノトコタチは日高見国を高皇産霊神(タカミムスビ)に譲ります。
タカミムスビは天上の神々を日高見国に祭り、日高見国は地上の高天原として栄えました。
日高見国の繁栄に貢献したタカミムスビは「トヨケ」(豊受大神のこと※)と呼ばれるようになります。
(※豊受大神は伊勢神宮 外宮の祭神)
日本書紀で国産みの神として有名な「イザナミ」はトヨケの娘で、イザナギと結婚してさらに神々を生み出していきます。
日高見国の衰退と大和朝廷の繁栄
こうして栄えた日高見国ですが、イザナギとイザナミの孫でウヒルキ(天照大神のこととも言われる)の子「オシホミミ」が2人の皇子を西方へ派遣したことから衰退が始まります。
代わりに西日本では大和朝廷が勃興し、日高見国よりも栄えるようになるのです。
☆☆☆
謎に包まれた日高見国ですが、古代の東北地方に一大文明が存在したことは間違い無さそうですね。
巨大建造物の背景が解明されることを期待します!
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