ドロドロした大奥の中で稀代の悪女と言って思いつくのが「お美代の方」。
お美代の方は11代将軍・徳川家斉の側室で、非常に寵愛されていましたが・・
彼女はその寵愛を利用し、大奥史上に残る2つの事件に関与してしまいます。
この記事では、大奥「お美代の方」にまつわるその2つの事件について解説します!
オットセイ将軍が寵愛した「お美代の方」
11代将軍・徳川家斉は50年にも渡り将軍職に就いた人ですが、並外れた精力の持ち主としても有名でした。
生涯で16人もの側室を持ち、たくさんの子を産ませます。
ついたあだ名は「オットセイ将軍」。
これは、家斉が精力強壮のためにオットセイの大事な所の粉末を愛飲していたからです。
お美代の方は、その家斉が最も寵愛した側室と言われています。
お美代の方の出自
元は日啓という智泉院住職の娘でしたが、その美貌を見込まれて旗本・中野清武の養女となりました。
清武ははじめから、お美代を大奥へ送りこみ家斉に取り入ろうとしていたようです。
その思惑どおり家斉はお美代の方の美貌のとりこになります。
実父・日啓と養父・清武はその恩恵を受けて、多大な影響力を持つようになります。
お美代の実父が起こした淫行騒動「智泉院・感応寺事件」
お美代のおかげで多大な力を持った実父・日啓は、家斉を動かして「感応寺」という新しい寺を建てていきます。
家斉の肝いりで建てられたこの寺には参詣客が集まり、たいへんな賑わいでした。
ところがこの寺には裏の顔が。
それは大奥女中らと寺の僧侶たちの密会の場所としての顔でした。
この淫行の噂は幕府の耳へも入り、家斉が没した後、直ちに日啓は捕縛されます。
日啓は流刑となり、日啓が関与した寺はすべて取り潰しとなりました。
一方でお美代の方と養父・中野清武は関与を否定し責任を回避します。
将軍の遺言を偽造した「お墨付き事件」で失脚
実父・日啓の捕縛にもひるまなかったお美代の方と中野清武ですが、致命的な事件を起こしてしまいます。
それが「お墨付き事件」と呼ばれるものです。
お墨付きとは、遺言状のこと。
お美代の方は家斉の側近の林忠英、水野忠篤らとともに家斉の遺言を偽造し、お美代の方の孫の「犬千代」を将軍にしようと画策しました。
しかしこの偽造は家斉の正室・広大院にバレてしまいます。
これが決め手となってお美代の方は大奥から追放。
養父の清武も登城差し止めとなりました。
☆☆☆
お美代の方の関わった事件は「これぞ大奥」というイメージそのもの。
それにしても実父の僧侶による淫行事件は衝撃ですが、僧侶が起こした淫行事件はこれだけではないんですね~
「日潤の延命院事件」(作成中)というものがあります。
こちらも大奥の女中が関与しています。