東北の方角を「鬼門」として「鬼や魔物がやってくる方向」とみなす考え方は、実は日本オリジナルの、陰陽師が創り出したものでした。

ここでは、「鬼門」という考え方が生まれた背景や、中国と日本との「東北という方角に対する考え方の違い」をご紹介します!

陰陽師が「鬼門」を創り出したのはなぜ?

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冒頭にも書いた通り、鬼門という考え方は陰陽師が創り出した日本独自のものでした。

特にこの「鬼門」が強く唱えられるようになったのは、平安時代後期の院政期に入ってから。

この時代、天皇と上皇との争いや武士の台頭によって、世の中が乱れていました。

そうした中、民衆の不安な気持ちの逃げ場として使われたのが

「鬼門が戦乱や凶事を呼んでいる」

という考え方。

そして鬼門を祭ったり守ったりすることで、民衆の不安を和らげようとしました。

本来、家と「鬼門」は関係が無かった

さて、現代では鬼門といえば「家の間取り」を思い浮かべます。

ところが陰陽道では、私たちの住む家と「鬼門」は何も関係づけていません。

陰陽道でいう鬼門にあたる東北は、内裏のある京都からみた東北を指していただけだったのです。

ちなみに、京都の東北には比叡山があり、「延暦寺が京都の鬼門を守っている」という考え方があります。

ところが延暦寺が出来たのは鬼門の考え方が出来る前。

偶然鬼門にあたる東北に位置していたので、「延暦寺が鬼門を守っている」と、僧侶たちが主張するようになったのです。

鬼門の反対「天門」も存在した

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実は陰陽道には、鬼門に対抗する「天門」という考え方もあります。

「天門」とは「万物を生み出す光が入ってくる方角」のことで、西北を指します。

(またの呼び名を「神門」とも言います。)

この考え方が生まれたのは、「鬼門を守っている」と主張する延暦寺に陰陽師たちが対抗するためでした。

実際、京都の西北の愛宕山には「神護寺」が位置し、陰陽師と深いかかわりがありました。

中国における「東北」は、祖先の眠る場所

中国でも、日本と同様「東北は鬼に関わる場所」と考えられています。

ところが、この「鬼」という文字が持つ意味合いが異なってくるのです。

日本で「鬼」と書けば、妖怪や物の怪の類を想像しますが、中国では「祖先」を意味します。

つまり中国では、東北は「祖先の眠る場所」だったのです。

そう考えると、現在の風水で東北を「悪い方角」と考え忌み嫌うのはご先祖様への不敬のような気もしますね。

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