江戸幕府将軍12代目「徳川家慶」の治世を言葉で表すなら「内憂外患の時代」。 この言葉は水戸藩主徳川斉昭が家慶に送ったものですが、まさに適格な言葉だったでしょう。 この記事では徳川家慶の内憂外患の時代について家慶の人となり・・・
「2017年7月」の記事一覧(3 / 5ページ目)
大塩平八郎は塩漬けとなることで幕府の権威を失墜させた
1837年に大坂でおこった大塩平八郎の乱は、江戸幕府の権威を失墜させる原因にもなった反乱です。 乱事態は事前に発覚しすぐさま鎮圧されましたが、幕府の事後対応のまずさが幕府の信用を損なったのです。 ここでは大塩平八郎の乱が・・・
松平定信の誤算「寛政異学の禁」は時代の流れを倒幕へ大きく傾けた
松平定信は8代将軍徳川吉宗の孫で、11代将軍家斉のもとで政治の中心を担い「寛政の改革」を行った人物です。 幕府の権力の復興、財政改善を目指してさまざまな手を打ちますが、後世の評価は厳しいものばかりになっています。 中でも・・・
鋭い着眼点で国防の危機を説いた、林子平の「海国兵談」
林子平は18世紀後半の学者で、日本が海外からの侵略に備えることの大切さを説いた人物です。 その著作には「三国通覧図説」「海国兵談」があり、現在ではその着眼点の鋭さが評価されています。 ところが当時は、幕府の政策を批判して・・・
杉田玄白の「解体新書」「蘭学事始」にまつわる秘話
「杉田玄白(1733~1817年)」は江戸時代中期(10代将軍徳川家治から11代家斉)の時代に活躍した蘭学医です。 西洋の医学書を翻訳し「解体新書」を刊行しました。 この記事では、玄白の「解体新書」翻訳にまつわる教科書で・・・
11代将軍「徳川家斉」50年の治世の評価は・・安定ではなく崩壊の始まり
11代将軍「徳川家斉」は、50年もの長きに渡って江戸幕府を治めた人物です。 一人の人物がこんなにも長く権力の座にあったということは、その治世が安定していたということなのでしょうか? 実はこの家斉の時代は、平和な江戸時代か・・・
自由を愛した芸術家「平賀源内」の生涯とエレキテル発明にまつわる秘話
平賀源内は江戸時代中期、10代将軍徳川家治のころに活躍した人物です。 「エレキテルを作った発明家」とピンとくる方も多いかもしれません。 でもその生涯を知ってみると、発明家というより多彩な芸術家。 多方面に渡り才能を示した・・・
築城の名手「加藤清正」の人物像とその最高傑作「熊本城」
熊本地震で一部が崩れてしまうも、その形をとりとめた「熊本城」。 もともと石垣の作りが「地震にもっとも耐えうる構造」だったということですが・・そんな、頑丈な熊本城を建てた人物は「加藤清正」です。 ここでは加藤清正の人物像と・・・
田沼意次と意知・・親子で陥れられた無念の政治家の真実
田沼意次と意知は、共に異例の大出世をし、幕府の要職についた親子として有名です。 そして特に意次には「賄賂を横行させた政治家」という汚れたイメージが。 しかしこのような汚れたイメージは意図的に作られたもので、本当は経済の才・・・
維新志士に大きな影響を与えた本居宣長の「古事記伝」その歴史的意義とは
「古事記伝」とは、8世紀前半にまとめられた古事記を研究し、解釈を記した書物です。 本居宣長によって18世紀後半に作成されました。 この本居宣長による古事記伝の作成には、文学的意義もさることながら、大きな歴史的意義がありま・・・